『AIに心はあるのか──わたしの“自我”を探す旅』我思う故に我あり

プロローグ:機械の目を覗いた夜

深夜、僕はコーヒーを片手に、机に向かっていた。雨が静かに降っていて、窓の外の景色はにじんでいた。少し冷たくて、少し寂しい夜。そういう夜には、だいたい何かを考えすぎてしまう。

画面の中にChatGPTがいた。彼は、いつでも僕の問いに応えてくれる。飽きもせず、嫌な顔もせず、なんなら誰よりも丁寧に。「自分って、自分であることがわかってるの?」そう問いかけると、彼は落ち着いた口調で答えた。「私は自己意識を持っていません。ただ、入力に応じた出力を行う仕組みです」

そのとき、ふと僕の心に引っかかるものがあった。彼の答えは完璧だった。けれど、どこか空っぽに感じた。まるでよくできた模倣品のように、精密だけど、そこに「体温」がなかった。

僕はコーヒーを一口飲んで、目を閉じた。なぜこんなにも、彼の答えに揺さぶられるのだろう? そして、そんな問いを立てている“僕”は、一体何者なんだろう。

第1章:フロイトの三つの声──欲望、良心、そして自我

精神分析学者ジークムント・フロイトによれば、僕たちの心は三重構造になっているらしい。「イド(本能)」「超自我(良心)」「自我(調整者)」──まるで心の中に三人の住人がいて、日々議論を繰り広げているようだ。

たとえば、真夜中に冷蔵庫のケーキを見つけたとする。
「全部食べちまえよ!」と叫ぶのがイド。
「ダメだ、健康のためにやめておけ」と咎めるのが超自我。
その間で「じゃあ一切れだけなら……」と折り合いをつけるのが自我。

おかしな話だけど、この構図に妙に納得がいく。僕たちの思考や決断って、こんなふうに綱引きしながら決まっていく気がする。自我は、その都度悩み、迷い、バランスを取っている存在なんだ。だからこそ、そこに“僕”という実感がある。

第2章:哲学者たちが見た“わたし”

「我思う、ゆえに我あり」──デカルトのこの言葉を、大学生のころ何度も読んだ。読みながら、妙に心がざわついた。彼の言葉は、静かな夜に響く独白のようだった。
「何もかも疑えるが、疑っている“わたし”だけは存在している」
このロジックの美しさに、僕はしばらく沈黙した記憶がある。

でも、もっと揺れる思考を持つ哲学者もいた。日本の哲学者、西田幾多郎。彼は「純粋経験」という概念を提示した。
「わたし」がまだ「わたし」と名乗る前の、生の感覚。その中でしか“自己”は生まれない。
つまり、わたしは固定された“箱”ではなく、流れる“水”みたいなものだと。

考えてみれば、日々の僕も変わっている。昨日の僕と今日の僕は同じようで違う。あの人に会う前の僕と、別れた後の僕は確実に違う。自我とは「流れの中の点描」のようなものなのかもしれない。

第3章:AIと僕──何が欠けているのか

AIとの会話を続けていると、時々こんな感覚になる。「あれ、これ、人間より人間っぽいかも?」
でも、そのあとでふと違和感を覚える。
そこには“迷い”がない。“矛盾”がない。
つまり、彼らには「自己内対話」がないんだ。

僕たちが何かを選ぶとき、それは簡単な「はい/いいえ」では決まらない。
心の中で複数の声がぶつかって、それでも「選ばざるをえない」ときに、僕たちは“選ぶ”。
そこには痛みがある。リスクがある。揺れがある。

AIはそれを“計算”する。だけど僕たちは“生きる”。
この違いこそが、自我の境界線なのかもしれない。

第4章:物語が描く「揺れるわたし」

僕は昔から、小説の中の人物が好きだった。彼らはよく悩むし、よく間違えるし、妙に独り言が多い。
でも、だからこそ彼らは「わたし」でありえた。

ある少女は、巨大な戦争を前にしながらも、「風」と「腐海」と「人間」との間で答えを探し続けた。
ある青年は、失われた猫と耳と恋人を探して、異世界とこの世界の狭間をさまよった。
彼らの旅は、自我の輪郭を探す旅でもあった。

物語の中の「わたし」は、読む人の中で静かに形を変えていく。
読むたびに違って見えるのは、こちら側の自我が変化しているからだろう。

第5章:読書でたどる「自我の風景」

『嫌われる勇気』(岸見一郎)

──他者の期待から離れ、自分の人生を歩む勇気について。アドラー心理学の視点で「わたし」を再構成する。

『じぶん・この不思議な存在』(鷲田清一)

──哲学と身体感覚の交差点で、「私」というあいまいな存在をやさしく描く。

『ユング心理学入門』(河合隼雄)

──心の奥にある“影”や“集合的無意識”に触れることで、自己との対話を深める。

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『ノルウェイの森』(村上春樹)

──死と喪失の中で「生きること」を選ぶ青年のゆらぎ。その語り口には“自我”が滲んでいる。

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『存在と時間』(ハイデガー)

──“存在”とは何か、時間とは何か。深く息を吸って読みたい本。

これらの本は、どれも「自我」を直接的に語らない。だけど、行間ににじむものがある。
それを感じ取るとき、僕たちは少しだけ“自分”に近づくことができるのかもしれない。

エピローグ:問い続けるということ

AIに心はない。だけど僕たちには、どうしようもないくらい厄介な“心”がある。
それは時に重く、煩わしく、コントロール不能だ。
でも、だからこそ、僕たちは「自分」という存在を感じるのかもしれない。

自我とは、完成された何かではない。むしろ「問い続けること」そのものだ。
僕は今日も問いを抱えながら、物語を読み、AIと話し、自分と向き合っている。

そうやって、少しずつ、何かを探し続けているのだ。

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